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2003年4月の日記
2003年4月24日(木)
一ヶ月ほど前から、足の裏や掻いた後の腕などに小さな内出血の点々がでたり、打った覚えのないところにあざができていたりするようになった。
このままでは痒くてもかけないじゃん!ということで病院にいってみることにした。
しかし、皮膚科なのか内科なのか・・・とりあえず仕事中に時間をもらい、近くの皮膚科にいってみた。

「これは、内科にいったほうがいい。○○クリニックにいってみては?」

といわれた。やはり、内科だったか〜。とりあえず紹介してもらえて(紹介状はないけど)よかったな〜と思いつつ、会社の人にケーキを買って帰ろうとケーキ屋に寄り道をして帰った。

2003年4月25日(金)
今日にでも内科に行こうと思っていたけど、帰る時間が遅くなってしまったので明日いくことにした。
明日は仕事も休みだし、母もいるし、午前中に母に連れて行ってもらうことにしよう!

2003年4月26日(土)
朝10時くらいに○○クリニックに着きアンケートみたいな問診票を記入していると採血に呼ばれた。その後1時間ほど待つと診察室に呼ばれた。

「もっと早く来ないと!!」

といきなり言われ、診察を受け終わりいすにすわると、

「血液は詳しい検査にも出すが、血小板が少ない!特発性血小板減少性紫斑病という病気かもしれない。もしそうならうちは入院施設がないから別の病院に入院してもらうことになるねぇ。」

と脅された。(笑)

「薬を出しますので次回は来週の金曜に来てください。エコーもしますから。」

今まで病気という病気をしたことがない私は、通院や薬、エコーまでもするなんてすご〜い!などと軽く考えていた。薬はプレドニンとエバステル錠を処方された。

病院の帰りには、母と一緒にケーキ屋でケーキを食べ、買い物をして帰った。

15時頃、○○クリニックの先生から電話があり、

「次回は金曜じゃなく月曜に来て欲しいのだけれど?」

と言われた。仕事のあとにでも良いということだったので月曜に行くことになった。なんで早まったのかな〜?などと考えながらぼーっとしていた。

17時くらいにまた電話がなった。またまた先生からだった。今度は何?と思いつつ電話に出ると

「あなたはしっかりしていたから病名を言おうと思いますが・・・だいたい電話で言うことじゃないんだけど・・・あなたの病気は急性骨髄性白血病という病気で、今日にでも入院してもらうことになりますが○○病院か○○大か○○医大のどこにしますか?」

と、いきなり告知!!しかし私は冷静で、

「○○病院でお願いします。でも今日というのは無理なので月曜にしてもらえませんか?」

とたずねた。

「それではそのように○○病院のm先生にいってみるからね。それから、家族の人にも話したいけど・・・」

といわれたので母にかわった。電話が切れた後、私はあまりショックを受けず、ただただ驚いて、まあ病気の中の一つなんだから〜と軽く受け止めたのだが母はとてもショックだったらしく(当たり前?)涙目になっていた。
その後もう一度電話があり、月曜に○○クリニックにいき、紹介状をもらってから○○病院に入院することが決まった。

会社に知らせるために社長に電話をし、とりあえず、病名と休む期間(半年くらい)を伝え、残していた仕事もあったので明日会社に行くことにした。

夕食時はなんだか重苦しい空気が流れていた・・・・本人が一番明るかった。

2003年4月27日(日)
今日は朝から会社に行き、社長と奥さんに病気の説明をしながら、今やれるだけの仕事を やった。今のところ引き継ぐ人がいないので心配だが、しかたない。昼までしっかり仕事をした。

昼からは母と買い物に行った。明日からの入院グッズを買いに。しかし、まだ信じられない。 この私が入院だなんてー!でも、病名もわかってるし・・・本当なんだろうな・・・。 買ったものは、パジャマや下着などなど。

夜は、荷物の整理をした。結構たくさんになってしまう。でも、初めての入院だ〜 どうなるんだろう・・・ん〜〜〜。

この日ばかりはいろいろ考えながら眠りについた。

2003年4月28日(月) 入院
WBC 3090 / Hb 13.9 / PLT 1.0
いよいよ今日入院だ。母と一緒に家を出て、まず○○クリニックに行き、エコーをしてもらった。 脾臓なども腫れてはいなかったようでよかった。先生から紹介状をもらい受付でお金を払うときに受付の人に”がんばってね!!”といわれたのがうれしかった。

そのあと、会社の人に挨拶しておこうと思い、会社に寄った。社長には話をしていたので みんな私が入院するということを知っていた。みんなからは、

「元気そうなのにねぇ・・・」

と口々にいわれてしまった。

「はい、確かに元気なんだけど病気みたいなんですよ〜。」

と返しておいた。でもみんな心配してくれるので、なんだか申し訳ないなぁ・・・本人は 仕事休んじゃっていいの?って感じなんだけど・・・(笑)ともかく、挨拶は終わった。

さて、次は○○病院だ。んーーー、システムが全くわからん(笑)どこで何をすればいいの?? と悩んでると案内係なるものを発見した!すぐさまそこへ行ってみた。

「紹介状をもらってきたのですが、内科のm先生は?」

「今日はm先生は外来の日ではありませんよ?」

「いや、今日来いっていわれてたんですけど?!」

「日付の間違いなのでは?」

なに〜?と思っていると母が、

「お部屋も用意してるといわれましたけど?(怒)」

(ナイス!母!)

「・・・・・・・それではこの紙に・・・」

と、やっと納得してくれ、外来診療の手続きを済ませたのだった。

それから、採血やレントゲン、心電図などが終わり待っていると

「らびさーん、皮膚科へどうぞー」

え?ひ、皮膚科?なんで?内科じゃなくて皮膚科?聞き間違いかなー?と思い、内科受付に聞いてみるとやはり皮膚科で間違いなかった。呼ばれたんだよね・・・と 行ってみると、マスク姿の先生がいて名札にはmと書いてあった。あぁ、この先生なんだ・・・ でも、何で皮膚科なんだよー!そこで診察があり、今までのことや病気のことなどを話した。 皮膚科に呼ばれたのは、やはり今日はm先生が外来の日じゃないので内科の診察室が空いてなかったんだそうだ。

その後入院手続きをすませ、病室に案内してもらったときはもう1時になろうとしていた。

「今からご飯食べていいですか?」

と聞くと

「あ・・・、もうすぐ骨髄穿刺(骨穿)がありますから、具合が悪くなる可能性もあるのでやめといたほうが。」

といわれてしまったので、骨穿が終わってから食べることにした。 初めての骨穿(第1回)・・・痛いのと緊張で汗をびっしょりかいてしまった。あまりやりたくない検査だ。 その後は、1時間安静で、結局ご飯を食べたのは15時前だった。

夕方、父と兄が来て、母も一緒に先生から病気の説明などを聞いたそうだ。私も聞きたかった!
みんなが帰った後病室で一人になってしばらくボーっとした。病人なんだ私・・・まだ信じられないよ。 でも、まあ、どうにかなるでしょ!前向きな性格でよかったよね〜!中には泣き崩れちゃう人も いるらしいけど・・・私的にはそっちのほうが考えられないよ・・・

2003年4月29日(火) 寛解導入療法 day1
WBC 5110 / Hb 12.2 / PLT 3.1 ・PC輸血10iu
腕からの点滴に慣れてきたが、腕の血管は2、3日しか持たないらしく これからの治療のために、鎖骨のところからIVHというのを入れることになった。

やはり、はじめの麻酔が一番痛い。その後は、何かが入ってきてるよ!という感じがして入れるのは終わった。
次に、カテーテルが抜けないように皮膚に縫い付けるというのを聞いて驚いた。ぬ、縫うの?縫うときは、麻酔なしだったが案外我慢できる痛みだったのでよかった。
縫い終わってガーゼをあててもらうと、IVHがきちんと入ってるかどうか見るために胸のレントゲンを撮ることになった。部屋まで機械とともにレントゲン技師さんが来てくれ、背中に板のようなのをあてて撮影した。結果は、無事成功。もしだめだったら入れ直ししなければならなかったので、成功してくれて本当に良かった。

落ち着いてくると、なんだかズキズキしてきた。縫ったところかな?でも、腕が開放されてよかった。
このとき、これからしばらくこの点滴スタンドとお友達になろうとは思いもしなかった。

あれ?よ〜く考えてみると今日は祭日なのでは??先生ってお休みなんじゃ?お疲れ様です<(_ _)>

2003年4月30日(水) 寛解導入療法 day2
WBC 4380 / Hb 11.6 / PLT 5.7
治療2日目。副作用のことを聞いていたのでどきどきだったが、吐き気もないしそれほどきつくなかった。
こんなものなのかな?このまま終わってくれればいいけど・・・

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