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2003年8月の日記
2003年8月1日(金)
WBC 1110 / Hb 6.8 / PLT 6.0
採血の結果・・・まだ外泊のOKは出なかった。次回に持ち越しとなった。

夜、兄から電話があり、母が急変したということを聞いた。来られるなら、今のうちに会っておいたほうがいいと言われたので、看護婦さんに外出していいかどうかを先生に聞いてもらった。すると、マスクをしてならいいといわれたのですぐに着替えて、迎えに来てくれた兄と一緒に母の病院に向かった。

病室は大部屋だと聞いていたが、急変したため詰所の一番近くの部屋に移されていた。母を見ると、黄疸が進んで肌が黄色がかり、白目のところも黄色になっていて最後に会った日からするとずいぶん変わっていたので、もっと早く来られればよかったのに・・・と涙がぼろぼろ出てきた。

自分で寝たり起きたりと動きはするのだが、話しかけても誰かはわからないようでこっちを見るのだが焦点が合ってないようで目が合わず、ただただ

「あー、きつか。あー、きつか。」

としか言わなくなっていた。

どうしてあげることもできずに22時くらいに自分の病院へ帰った。詰所によると

「先生から、帰ってきたら連絡してといわれてたので連絡しておくね。」

といわれた。病室に戻り、着替えを済ませボーっとしていたら先生が来られて、母のことを聞かれた。話していると、また涙が出てきてしまいちょっと恥ずかしかった。それで

「自分が大丈夫なら行っていいが、無理はしないこと。」

とのことだった。

寝る時は涙があふれてしかたがなかった。

2003年8月2日(土)
母のところには11時頃いった。昨日と違い、自分では寝返りがうてなくなっていた。

親戚の人や、母の会社の人がこられて母の変貌振りに驚かれるたび私は涙が出て止まらなかった。ごはんなんてとても入らなかったが、薬を飲まなければいけないのでパンを詰め込んだ。

検温にこられる看護婦さんたちに

「いつも、娘さんのこと心配されてましたよ。」

といわれた。私のことなんていいから、自分のことを心配してよ!!!

23時くらいに帰ったら、めちゃくちゃ睡魔におそわれた。明日もいくぞ。

2003年8月3日(日)
朝食前から洗濯をすませ、9時に伯父に迎えに来てもらい母のところへ行った。

今日は、一人で寝返りをうつし、言葉を発するようになっていて少し回復していた!!点滴のおかげなのだろうか。
少し安心したので、一足早く21:30に帰った。

2003年8月4日(月)
WBC 1220 / Hb 7.0 / PLT 8.1
病院にいき、まずびっくりした。母は、言葉を少し話すようになっていた。誰が誰だかもわかるみたいだし、返事も少しする。マスク姿の私もわかるようになっていた。毎日、行く度に変化している!それも、いいほうに!!

私の採血の結果は、前回から少しづつ増えていたみたい。しかし、まだまだだ。

2003年8月5日(火)
母のところへ行くと、鼻に酸素のチューブがつけられていた。それでも、サチュレーションは82%だったのでとうとうマスク型に変わった。

話をしたりしていると、母から「すまんね」といわれてしまい、涙があふれたが母に涙を見せてはいけないと思い必死でこらえた。昨日はかなり動いたり話したりしていたので疲れたのだろう、今日は結構眠っていた。

私は22:30くらいに自分の病院へ帰った。体調などは変化なし。

2003年8月6日(水)
朝3時くらいに母の容態が悪化したと電話があり、急いでタクシーで向かった。
とっても息苦しそうだった。息をするのが辛そうにも見えた。そして6:21亡くなった。・・・すごく悲しい。表現できないくらい悲しい、でも、がんばる。

急遽外泊の許可をもらって家に帰った。ずっとマスク着用なので暑い。面倒だがカビが怖いので着用する。

2003年8月7日(木)
今日は通夜だった。正直、正座がなかなかきつい。

明日は葬式。みんな、バタバタしているが私は何もできなかった、というかさせてもらえなかった。母に悪いよ・・・。

ま、父が壊れないように気をつけよう。

2003年8月8日(金)
んー、何と言うか・・・・終わっちゃった。しかし、まだ実感がわかないので何ともいえない。

このまま家にいるかどうか考えていると、看護婦シスターズ(いとこ3&5)に

「病院にいたほうがいい!!」

といわれたので、夜、いろいろすんでから病院に戻った。

昼に体温を測ったら37.1℃だったが夜には36.8℃と下がっていたので良かった。

2003年8月9日(土)
昼にいとこ5に迎えに来てもらって家に帰り、書類の整理などいろいろした。

20:30に兄に病院まで送ってもらったがどうせ明日は初七日でまた家に帰るね・・・というわけで外泊許可をもらい月曜に戻る予定にした。

2003年8月10日(日)
朝、母の勤めていた会社に父と兄と私の3人で挨拶に行き、いろいろ買い物をして帰った。昼からはボーっとしていた。

初七日の法要は19時からはじまり、お客さんが帰り片付け終わったのが1時くらい!!もう、風呂も入らず爆睡だった。

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2003年8月11日(月)
病院に戻るため昼からバスに乗っていった。今日、採血だといわれていたから早目に病院へ戻ったのに明日するって(T0T)

骨穿も明日することになったぞ、超久しぶり。どっちからしようかな・・・。

2003年8月12日(火) 一時退院
WBC 880 / Hb 7.4 / PLT 9.1
採血の結果、Hbと血小板は増えているが白血球がなかなかねぇ。

骨穿(第5回)はあっという間に終わったので、なんだか拍子抜けした。見た感じ、細胞が骨髄の中で眠っているらしい・・・。増えるまでしばらくかかりそうなので、一時退院をすることにした。

2003年8月13日(水)
お盆だ。伯父と伯母が泊まりにきてくれた、3日間いてくれるそうだ。仏前の料理などをあげてもらえるので助かった。

夕食は鯵のムニエルだった。おいしかったー。

2003年8月14日(木)
一日何もせずにすごした。夕食は焼肉で、めっちゃおいしかった。その後、YとKaとKiとの4人で居酒屋へ行きいろいろ食べた。

夕食後だったのに食べたのでお腹いっぱいになった。ビールを飲みたかったけどグッと我慢した(T-T)。

2003年8月15日(金)
朝起こされて、お墓参りに行き花を飾った。6時くらいだったので眠かった。

夜は親戚の人達が来た。

2003年8月16日(土)
1日中ゴロゴロ寝ていた。そのため、服薬の時間がずれにずれて夜の分は24時頃になってしまった。やっぱり家で飲むファンギゾンシロップは格別にまずい。

お菓子やアイスなどを食べまくった。そして、体重も増えていた。どんどん不健康になっていくようで怖い(^^;)。

2003年8月17日(日)
今日もゴロゴロして、マンガを読みまくった。

台所にさつま芋があったので、スイートポテトを作った。でも、みんなあまり食べてくれない・・・。

あーー、家にいるとどうしても服薬の時間がずれてしまう・・・どうすればいいのかなぁ。

2003年8月18日(月)
朝、父に起こされ、母のことでの手続きのためいろんなところを回った。1日がかりで大変だったが、勉強になった。しかし、まだまだ終わらないみたい。

2003年8月19日(火)
一日、書類書きをしていた。今日は二七日(ふたなのか)なので昼に伯母がきて料理を作ってくれた。法要が終わったあと、女手は私一人だったので洗い物とかいろいろして、ベットに入ったのは3時だった(=_ヾ)ネムネム。

2003年8月20日(水) 外来
WBC 1970 / Hb 9.9 / PLT 11.7
外来日だった。なんだか病院がすごく懐かしく感じた。白血球とHbが増えていたので良かった。回復したので25日に入院することが決まった。

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2003年8月21日(木)
昼に昨日もらった薬の確認をしていたら、入院日までもたないのがあり、病院に電話すると

「午前中にきていただかないと・・・」

といわれ、薬のために明日わざわざ病院にいかなければならないことがわかりショックだった。

夜は社長と奥さんと3人でごはんを食べにいった。ケーキも食べてしまった。

2003年8月22日(金)
病院に薬をもらいにいった。薬だけもらうというのが初めてだったのでどきどきしていたら薬だけなのに1時間以上待たされた。でも、無事にもらえてよかった。

バスの時間まで余裕があったのでジーンズを買いに行った。で、買ってしまった。

夕食の時、父といろんな話をしているとなんと5時間もたっていた。今後、こんなに話すことはないだろう・・・。

2003年8月23日(土)
今日は、いとこ1の次女のダンス発表会を見に行った。すごい!!上手だったし、歌もうまいぞ!結構おもしろかった。

2003年8月24日(日)
具多の7枚チャーシューを食べた。うまかった。明日、入院だから準備をしていたらもう3:30になった。あーあ、採血とかあるだろうに・・・。

そういえば、仕事もきていたなぁ。

2003年8月25日(月) 入院
WBC 3190 / Hb 9.9 / PLT 13.1
再び入院だ。採血&骨穿(第6回)があった。今日の骨穿は超痛かったーーー!何が違うのでしょう。

それから、仕事は終了した。昼から会社の人がお見舞いに来てくれた。

静かにパソコンに向かっていたら急に悲しくなった・・・母はもういないんだ・・・。

2003年8月26日(火)
今日の予定などは何も聞いてなかったので、いきなり

「心電図とってきてください」

といわれたのには驚いた。終わって病室に戻ってきたら今度はレントゲンに呼ばれるし。まぁ、異常なしだったのでよかった。

明日、IVHを入れる。

2003年8月27日(水)
IVHを入れてしまった。約1ヶ月開放されていたのかぁ・・・とうとう今日からお供付。

夜、麻酔が切れたのか、ズキズキしてきた。

2003年8月28日(木) 地固め療法2 day1
WBC 2210 / Hb 10.4 / PLT 11.5
今日から治療開始だ。明日は黄色の薬がくるらしい。

IVHのところの痛みは昨日に比べるとだいぶましになった。体の一部になってきたかな?

2003年8月29日(金) 地固め療法2 day2
伯母がきてくれた。心配かけてごめんね。黄色の薬が始まったが別にどうもない。

食後の薬を用意しているところに先生が来られて

「いっぱいあるね〜、かわいそうになってきた」

といわれた。いやいや、処方してるの先生でしょう??必要なんだよね??

2003年8月30日(土) 地固め療法2 day3
午前中はずっとうとうとしていて、午後はパソコンに向かっていた。

今日も、調子よく一日が過ぎた。

2003年8月31日(日) 地固め療法2 day4
ずっと寝たり起きたりの繰り返しだった。
先生に

「副作用はないですよ〜」

といったら

「今回が一番楽でしょう」

と言われてしまった。

Kiが虫垂炎で入院した。お見舞いいけるかなぁ・・・。でも、手術後は迷惑かな?

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